チェロ療法士?の、誕生
入院後、八月の初旬に急性期を抜けてリハビリ科に転科して少し経ったころ。
リハビリには、日常生活のほか、職業復帰の目的もあるわけだが、自分の場合は、チェロが仕事。主治医の先生と、方法はないものかと考えていたところ、その年の二月ごろ、野外での演奏の趣向として入手していたエレキチェロを思い出した。アンプを通さなければ音は小さく、病院でも弾けそう。左麻痺だし、ボウイングのれんしゅうではないのでうってつけである。主治医と作業療法士(OT)の先生方も協力してくれて、持ち込んで弾いてみることになった。
その日は、八月十三日の金曜日だったはず。まだ歩行も、やっと立ち上がり、補助の平行棒を使って、伝い歩きをしているような時分であった。いざ弾くとなると、家内や先生方のほうが、心配していた。弾ける、弾けないではなく、弾けなかったことに対して僕自身が絶望するのではないかということを。
当の本人はさほどではなく、弾けると楽観していたわけではもちろんないのだが、もともとたいしてうまくもないんだし、という塩梅で。
果たして、数人が見守るプチコンサート状態で、弾いてみた。
指は早く動かないだろうから、サラバンドを。
OTさんのおかげで、腕はすこし上がるようになっていたが、やっと座ってみると、体幹がふにゃふにゃ。指が弦に触れると、感電したような強く痺れた感覚になり、弦もポジションもわからない。腕全体には、何もしてないのに、数時間連続して動かし続けたような強いツッパリ感と疲労感があり、ほんの少し動かしただけで、実際にすぐ疲労する。
なにをやっているのか自分でもよくわからないなかで、数分間、いや実際には一分もなかったか、一応音を出してみた。
ミミズがのたくるような文字、という表現があるが、おそらくそんな音だったように思う。主治医が、「さすがプロ、弾けてる」といってくださる。それを聞いて、「複雑な思い」だったり「逆に落ち込ん」だりしたらちょっとかっこいいように思うのだが、単純にうれしかった。「そうでしょう!」と軽口の一つも叩けば良かったのだけど、少し疲れた。
その日から、リハビリの一環でチェロをさらうことになった。でも、OTさんにはチェロのリハビリは無理なので、弾けなくなった自分に、自分自身が教えるしかない。そう、言うなれば、日本には数少ないセラピスト、チェロ療法士?の誕生である。
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