何が変わったのか、何が変わっていないのか。
「もしもし、N山さんのお宅でしょうか?サイトウと申します。H子さんいらっしゃいますでしょうか。」
何度も暗唱する。時には少し声に出してみる。目的の相手と話すことが恥ずかしいわけではほとんどない。相当な確率でその子以外の家族が出ることが予想されるからだ。母親かもしれないし、父親かもしれない。昭和のオヤジは怖い。兄弟や祖父母であるかもしれない。家族構成はよく知らない。そんなことまで話しができる距離感ではない。簡単に異性に話しかけられる、同じクラスのちょっと悪い奴らをバカどもめと影で罵りながらも、ややうらやましい。
誰にでも見透かされているような不安感。でも、あくまで学園祭の連絡事項を伝えるだけなのだ、見透かされてもやましいことなどないと、自分に言い聞かせる。
そうして何度もリハーサルをしたあげく、中学生の僕がどんな電話をしたのかどころか、実際に電話をかけたかどうかすら思い出せない。電話機はダイヤルだっただろうか、プッシュ式だっただろうか、それすら思い出せないのに、その時の気持ちを明確に思い描けるのは僕だけじゃないはずだ。
wikipediaによると、電話機の自由化が1985年、その前からプッシュホンはあったが、おそらく一般家庭は黒電話の時代だな。こんなことが指を数センチ滑らせれば調べられる時代の子供には想像し難いシチュエーションだろう。何が変わったのか、何が変わっていないのか。
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