ゴーストライター
新垣隆さんには13年ほど前に一度お目にかかっている。さる室内楽の演奏会のリハーサルを見学していたとき、作曲科出身だけど繊細でいいピアニストなんだと紹介された。ちょっと変わり者なんだというエピソードを聞いたように思うのだが、そんな音楽家は多いので、どんな話だったかよく覚えていない。ただ、見かけ通り穏やかな人だった。ぼくが部屋の端の椅子に腰掛けて他の人の演奏を聴いていると、音もなく近寄ってきて「その椅子、壊れてますよ」と教えてくれた。ちょっと見にはわかりにくかったものの、椅子の足が一カ所折れかけていたのだ。
だから、写真と名前をみておもわず「あ」っと声を上げた。
大騒動になっている話だから、いろんな人がいろいろとこれから言うのだろう。やれ詐欺だの、やれ著作権だの、やれ損害賠償だの。無論、Sがペテン師であることには全く異論はない。
新垣さんのことが気になって、謝罪会見をついついずっと見てしまった。新垣さんは、自らSの「共犯」であると語り始めた。結局Sのペテンがうまく行き過ぎて、高橋選手の曲の採用で頂点を迎えたように、あまりにも多くの人が悪質なフィクションに騙されているこの事態の片棒を担いでいる形になっていることに我慢できなくなった、ということらしい。Sは欲をかきすぎたのだろう。そして新垣さんを追いつめ、自分自身の首も締めたのだ。
多くの人がいい曲だと言ってるから、Sが作ろうが新垣さんが作ろうが、いいものはいい、だから’hiroshima’はいい曲だ、というコメントをする人がいる。けれど、売れたからいい曲、名曲、という訳ではないことは古今東西明らかだ。一時間以上に及ぶ長大なオーケストラの曲の芸術的な価値を計る方法とは何なのか、その困難さは想像に難くない。それとヒット曲は別問題であるように思える。つまり、やはり、日本人のあらゆる琴線をふるわせたSのプロデュースが優れていたから売れたのは間違いないだろう。ただその手法が演技、フィクションであり、ひいてはペテンだっただけの話だ。
新垣さんは著作権を放棄すると言った。多くの人にとっては自分が作った曲に自分の著作権があることが、曲を作る強い動機の一つになるだろう。それが現代の商業音楽の前提条件にもなっている。新垣さんがそういった利益に無頓着なのか、これほどの騒動になったからそう決めたのかはわからない。どっちでもいいという雰囲気も感じられる。
とはいえ、自分の名前で発表したときの収益や名声と比べると、彼が得たものは、今回の騒動も含め、あまりに少ない。Sの欲深の対照のように、彼は無欲すぎたのだろうか。それとも、楽曲を創りだす機会を得るという欲求が、報酬を得る欲望よりも遥かに大きかったのだろうか。
憶測するならば、新垣さんにとってかつて、Sのサジェスチョンは、楽曲のインスピレーションを得るためのまたとない機会になっていたのかもしれない。ゴーストライターであるという状況もそんな情念に拍車をかけていたのかもしれない。それを断ち切ったいま、新垣さんは「許されるなら、これからも仲間と音楽を続けていきたい」と言った。彼にとって、それが何よりも大切であるように聞こえた。
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著作とはどういう行為なのかについて考えさせられますね.池辺晋一郎のコメントが本質をついているとおもいました.
佐内河内さんが作曲を「しなかった」とも言えない.今回のケースは,最初から「共作」と発表していれば問題なかった.
投稿: | 2014年2月 7日 (金) 10時35分
名前を書き忘れました.
投稿: 池田岳 | 2014年2月 7日 (金) 10時36分