最愛の人が死んでも…
実は、「イヤなことがあって、楽器に触れられない」というお話は良く聞きます。それはきっと、どんなにか嫌なことかもしれません。
しかし…
僕は幸いなことに、尊敬するプロフェッショナルがまわりに何人かいます。彼、彼女たちがみな同様に、こんなようなことを言います。
「私は、親が死んでも歌うことが出来た。最愛の人が死んでも、子供が死んでも、歌うだろう。」
僕もそうだろうか。そうでありたいと思います。
問えばわかる、ということではないですけれども、
生きることって、何でしょうか?
僕たちにとっては、明らかなことだと、思います。
悲しみを糧とはいいません。タカちゃんに語ったように、慰めにそういう言い方をしてあげるのは良いでしょうけれども。しかしそれはむしろ魂の悲鳴であり、叫びなのでしょう。
音楽をするならば、どこまでも踏み込んで、つねに魂を磨いていかないと、やっていけない、音楽家の性なのです。
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コメント
初めてコメントします。
私も演奏する者として、共感したので一言!
人は傷付いたり、大切な物を失った時には、何も手につかなくなりますね。
そんな時は何もしない…
すると次第に何かに導かれるようにやりたくなり、やり始めている。
そして、それが自分を癒し、強く成長させてくれてるんですよね。
以前に増して…。
人として、演奏者として成長したいですね。
限りなく…!
投稿 こちゃえ | 2008年5月17日 (土) 16時15分
こちゃえさん、コメントありがとうございます。
成長したいと思う心は、ポジティブなものですが、それが本当に必要なときに、とてもそんな気持ちになれない…それが悲しみの正体でしょうか。
求める心と求められる心が乖離している…
そんなとき、その二つの架け橋に、僕らの音楽はあるのかも知れませんね。
それは、この世で目の当たりにすることの出来る数少ない奇跡なのかもしれません
投稿 eflat | 2008年5月17日 (土) 19時16分